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こんにちは、いかがお過ごしですか?四季がある日本を、心から感謝する者ですが、今年は特にどこから春で、いつから夏かわかりませんね。しかし、大自然は文句も何も言わず、折々に姿を変え私たちを慰めてくれます。今日も「天地創造の神」が背後で愛をもって働いておられることを覚えたいものです。”見よ。あなたを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。”
「愛」この言葉が、氾濫し、ある意味で陳腐なものになっていないでしょうか。
「相手が心変わりすれば変わるような愛は、愛ではない。」(シェークスピア)
“世の終わりには、不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる。”<聖書> あなたは、夫を、妻を、子どもを、親を、友人を、隣人を愛していますか?
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愛は、観念ではなく、行い・行動です。聖書は言います。“愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。” 「愛」のところにあなたの名前を入れて読んでみてください。「○○○は寛容であり・・・」この愛に照らされて、自分の姿・心を顧みる時、自分に愛があると言える者は誰一人としてないのではないでしょうか。
私たちには、愛はないのです。まず、このことを認めた時、「本物の愛」「真実な愛」が欲しいと、渇くのではないでしょうか。この愛がほしいと思いませんか。
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では“愛は寛容であり・・・。”の「愛」のところに、「神」・「イエス・キリスト」を入れて読んでみてください。聖書の言う天地創造の神」は、こんな愛の方であり、その愛をこの地上で実践された、神のひとり子なるイエス・キリストなのです。ご自分から十字架に架かられ、殺され、血を流してまで、あなたを罪の滅びから救われたお方。
もうすでに、あなたの罪の赦しは十字架で成されています・この事実を、あなたが信じるかどうかは、あなたの決断です。イエス・キリストを、あなたの心にお迎えすると、イエス様がこの愛をどんどん注いでくださり、またこんな愛であなたが愛されている事を知ります。私たちは、愛の製造所でもなく、愛の貯蔵所でもありません。”見よ。わたしは、(あなたの)戸の外に立ってたたく。・・・。”<聖書>
心の戸を開き、イエス様をお迎えください。
牧師 土田 典子
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