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新緑の季節がやってきました。思わずタトに出たくなる季節ですが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。今月もバイブルメッセージにお付き合いください。
私たちは生まれて気がついたら人間として生きていました。特別な場合は除いて「お父さん」と「お母さん」と呼ばれる人と一緒に住んでいて、守られて育ってきました。住むところや着る物を与えてくれたり、お腹が空いて泣いていると食べ物をくれたり、また、正しいことと正しくないことを教えてきてくれました。皆それは当たり前と思っていると思うのですが、実は、私は幼いある時に「どうしてこの人たちはこんな風にしてくれるのだろう。」と考えたことがあります。そんなことを考えるのはちょっと変わっているかもしれませんが、それにはちょっとした経験がきっかけでした。
私の2歳違いの妹がまだよちよち歩きぐらいの時に、2階の部屋に階段をのぼって来たことがありました。−番上まで来た時に、急に立ち上がり、バランスを崩して下に落ちそうになりました。私はとっさに手を伸ばしましたが、それは間に合わず、妹は下に落ちていってしまいました。
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すごい音と共に妹の泣き声が聞こえました。すると私の父が慌ててきて妹を見てから上まで上がってくると、私を叱り飛ばしました。「ヒロ!何をした?」私はありのまま、妹が勝手に上がってきて、助けようとしたけど間に合わなかったという話をしましたが、父は私の話を信じることができず、ひどく叱ったのでした。
「どうして僕の話を聞いてくれないんだろう、妹を助けることができないで、残念な気持ちなのは僕なのに。」そんなようなことを思っていました。
それから、私の中に人に対する言わば警戒心が生まれたように思います。そう思いだしたら、自分は愛されて当たり前とは思えなくなりました。また 、色々なことが不思議だと思うようになりました。今思えば、愛ということや自分の存在について深く考えるようになっていったのだと思います。
しかしそれから、私は聖書に出会いました。そこには本当の愛のことが記されていて、人間がどこから来てどこへ行くのか、またその存在とはどんなものなのかについて書かれていました。幼い心にも響く言葉がたくさんありました。私は成長する中でそうした言葉に慰められ、励まされていきました。
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「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」
人間は皆互いに欠点はあるけれども、大きな愛に包まれて生きる時に初めて、互いに信頼し、愛し合うことができる存在なんだと聖書全体を通して知り、また信じました。
幼い時のつらかったことの意味も今なら分かります。人は愛を食べて生きているような存在で、その愛を、私もお父さんもお母さんもみんな必要としていたということなのです。(詳しいことはまた別の機会に。)
教会では、愛について学ぶことができます。また、強く生きることができるようになります。あなたも教会にいらっしゃいませんか。皆様の祝福をお祈りしています。
牧師 神戸 博央
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