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「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。しかし、イエスは言われた。『子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。』」(聖書)
いつの時代でも親や大人は子どものために良かれと思って子どもと関わっていると思いますが、親も人の子、余裕がなくなったり、大人の社会のストレスのために、そばにいる子どもの姿が見えなくなってしまうことがあります。
子どもはどんな時も黙って親や大人を信じているものですが、その期待が裏切られ大きく傷ついてしまうこともあります。残念ながらこれが今の社会の現実ではないでしょうか。(弟子たちの対応も忙しいイエス様のことを考えてのことだったと思われます。)
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かくいう私もそんな痛みを感じていたことがあります。両親はとても優しいまじめな良い人なのですが、それだから全てが良いということではありませんでした。
しかし、そんな中でも冒頭の聖書の言葉は幼い私をよく励ましてくれました。神様の存在は私にとっては勇気を与えて下さる存在だったのです。この大自然を創られ、私たちを創ってくださった方が、何と私たちの罪の身代わりにご自身のいのちを与えるほどに私たちを愛してくださっており、そしてその方は子どもを大切に扱ってくださっていると記されていたからでした。
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そんな私も今や大人になりました。もうこの神様の恵みからはもれてしまうのでしょうか。また、逆に子どもたちを傷つけてしまうこともあるのでしょうか。それを防ぐキーワードは、「子どものように」であり、すなわち、そのように神様に頼る人であるかどうかということのようです。
神様に頼るなどということは弱虫のすることだと思われるかもしれません。しかし、世界でも人生という困難な道を切り開いてきた人の多くは自分の限界を認め、神様に子どものように頼りきる人たちでした。よく「子どもの目線で。」という話を聞きますが、私たち自身が神様の前には子どものようであるかどうかというごとが、結局は問われているのだと思います。
牧師/神戸 博央
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